タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

最初のこと

いれれれれれれろ~!

えぇぇ~ろ!

タツゴロウ(私)です。

 

 

あと4ヶ月。

これから行なうことすべてが、だんだん「平成最後の」ものに変わっていくんですね。

タツゴロウ(私)が平成を迎えたのは、小学5年生の冬休み。その頃は「平成最初の」ものばかりだったわけですが、意識もしていませんでしたし、「平成最初の」ことはほとんど覚えていません。

ただ、その年の年末年始は、雪も少なくあたたかな冬だったことは良く覚えています。

 

 

1月7日に昭和天皇崩御され、テレビはその話ばかりなので、外で遊ぶ事を決意したタツゴロウ少年。当時から「寒がり」には定評のあったタツゴロウ(私)が冬の屋外で遊ぶ選択するのは、珍しいことだったと思います。

家から出たタツゴロウ(私)は、家のすぐ前の堤防から川の向こう岸まで石を投げて遊んでいました。

すると微かに何かが聞こえてきます。

耳をすましながら音の聞こえる方へ歩いてみるとその正体が分かりました。それは、少し先にある中学校から聞こえてくる吹奏楽部が練習する楽器の音や、運動部のかけ声でした。

 

 

堤防を数十メートル川上へ歩くと見ることが出来るその中学校は、約1年後からタツゴロウ(私)が通うことになる場所。個人的には中学校までのカウントダウン期間に入っていたようで、「早くあそこに行きたい」なんて思っていて、その演奏やかけ声にワクワクし、校舎がすごくキラキラして見えたことを思い出しました。

 

あそこに行ったらどんな部活をしようか とか、自転車で通学出来るとか、もっとファミコンを出来る時間が増える(兄ゴロウがそうだったので)とか、それがタツゴロウ(私)の「平成最初の」の未来に対する想いであり、希望だったんですね。

子供らしいのかも知れませんが、思い出してわりとウケました。

昨晩、そんなことを考えながら布団に入っていたわけですが、、、あれから30年、ずいぶん遠くまできたもんだと、なんだか感慨深く思いました。

 

 

それから、いろんな事があった平成。

おかげで今はもっと鮮明に、そして明るく色鮮やかな未来が見えるようになりました。

たかが30年、されど30年、、、ですね。

 

 

 

え~ろっ!

い~ろっ!

えぇぇ~~~~~~ろ!

 

これから始まる30年が楽しみでなりません。

 

問いのこと

ここまで過去について考えたことがあるでしょうか。

否。

タツゴロウ(私)です。

 

 

先日、本業である企業さんにお伺いしたところ、初対面にも関わらず、何故かタツゴロウ(私)に凄く興味をもっていただいて、タツゴロウ(私)の経歴を知りたがられました。率先して話すような過去ではないのですが、聞かれたら答えない理由もありませんので、お話しさせていただきました。するとどうでしょう、話せば話すほど、ぐいぐいこられるわけです。

なんでかなぁ、と考えながら、2つ「こうなのかなぁ」と思ったことがありました。

 

1.失敗をするってどんなことなんだろう?と言う疑問

2.今のこの人を作っているのは、過去に原因があり、その過去を知りたい

 

 

1.については、生まれ育った環境などもあり、そうだろうな とある程度イメージが出来たのですが、2.については、それからずっと頭を離れないんです。

自分の過去ってなんなんだろうと。

そう言えば、自身の過去についてまともに考えたことって、そんなにないんじゃないかと思いました。サトゴロウさんと話をしていた時にも、過去を考えさせられる話題にもなったりして、今、過去について考える時期なのかも と思って色々考えてみています。

 

 

現時点で、腹落ち出来る考えに至ったわけではないのですが、

今のタツゴロウ(私)を知るために過去を知る、という行為への違和感。はたして、今のタツゴロウ(私)は、過去のタツゴロウ(私)が作ったものなのか。

ポイントは、そこだと思っているわけです。

 

三次元で捉えたこの世の時間という概念に準えば、過去がなければ今がないのは間違いない事実ですが、何か違和感を感じてしまうわけです。これって、自分の過去を認めたくないということの表れなのかなと。今の自分から見たら、あまりに愚かな過去の自分を受け入れたくない、すごく良く言えば、成長の証と捉えることも出来ます。逆に、今も変わらない自分と向き合うことへの恐れなのかも知れません。

でも、それはタツゴロウ(私)の違和感の話であり、どちらであったとしても、問いの答えにはなりません。問題は過去が今を作っているのか、です。

 

 

ここに至るまでの考えの課程はとても長いので割愛させてもらい、また、正否もさておき、現時点での答えは「今の自分は、過去に影響を受けた未来が作っている」というところに至っています。

 

なんだか、弱い自分丸出しだなと。

「結局お前は過去を否定したいだけなんだろ?過去から逃げるんだろ?この臆病者が」。遠くで、そんな悪魔のタツゴロウ(私)の声が聞こえてくるうようです、、、

でも、今の自分は未来が作っていると、今は思います。

 

 

苦しいこと、辛いこと、恥ずかしいとこ。迷惑をかけたこと、悲しませたこと、苦しめたこと、悩ませたこと。自分自身も、周りの方々にも、いっぱいいっぱい。

 

だからこそ描きたい未来があり、共に感じたい幸せがあり、共有したい笑顔がある。そこへの引力によって今が創られていくのかなって。

そのエネルギーの力強さと清らかさ。

それが今の自分を創っている。

 

 

今年の漢字は「災」とのこと。

ならば、どんな未来を描き、今を生きるのか。

だからこそ、描く未来とは。

 

タツゴロウ(私)とは。

 

 

世の中は問いに満ちていますね。

 

 

きらきらすること

ヌ ル ヲ レ

タツゴロウ(私)です。

 

 

先週末に金沢で、「そうだよなー」って赤ベコのようにうんうんと首を縦に振りまくりながら、目からウロコがぱたぱた落ちてしまうワークショップに参加してきました。3月に横浜で参加した先祖供養ワークからファンになり、夏にはもう参加を決めて楽しみにしていた今回のワーク、、、本当に良かったです。

 

冒頭の30分、、、もう引き込まれます。

今までタツゴロウ(私)が感じてきた、現代の「働く・仕事・お金」に関する違和感を、丁寧に分かりやすく、すぱーんっと明快に説明していただいて、もうもの凄い腹落ち加減なわけです。

サトゴロウさんと同じように感じ、以前から話していたご自身の環境を変えることへの覚悟も感じましたし、タツゴロウ(私)自身も何だか背中をどん!と押していただいて、想い描く未来への覚悟が決ったように感じました。

 

 

ワークの内容は、こちらのページを読んでいただいたり、実際にワークに参加していただくのが一番かと思いますが、タツゴロウ(私)的に一番のエポックメイキングだったのは「エニアグラム」の考え方。

 

エニアグラムとは、人間が生まれつき持っている資質を9つのタイプに分類した性格分類学です。

エニアグラムでは、性別、国籍、遺伝などは一切関係ありません。

もともと生まれ持った資質を9つのタイプに分け、それぞれの思考や行動、強みや苦手なことを教えてくれます。

 エニアグラムを使って自分がどのタイプかを知ることができれば、自分がどんな状況でどんなことを考えるか、どんな行動をとるかをあらかじめ知ることができるんです。

 

タツゴロウ(私)は、タイプ1:完全主義者。

後でさまざなまサイトを読んで見ると、吹き出してしまうほど、「そのまんま自分」の特徴がたくさん書かれていてすごく面白いんですが、ワークではその特徴の受けめ方や活かし方も学べます。

どんだけ盛りだくさんのワークなんだと、今日復習をしながら改めて思ったわけです。

恐るべし、弥勒力。。

 

 

で、改めて今日の昼間に復習の仕上げで瞑想をしながら後の人に聞いてみたら、返ってきたのは「自分自身を信じきるんだよ」って答えでした。

 

そうだなぁ、、、って思いましたね。

本当におかげさまでタツゴロウ(私)は、この3年で自分自身をすごく好きになることができ、同時に信じることも出来るようになってきていました。でも「信じきっているか?」と問われれば、まだ「きって」はいないように思えます。

 

どこか奥の方に不安や迷いがあるんじゃないか。

恐怖や恐れ、疑いの心が潜んでいるんでないか。

そんな風に思いました。

また、その気持ちやエネルギーが周りの方に感染ってしまっているのではないかとも思いました。

 

 

思い込みという名の大きなアンカー。

自分が幸せになる為には、誰かが不幸にならなければならない。

自分も含め、誰かを幸せにするには、犠牲が伴わなければならない。

 

 

確かにそうなのかも知れない、、、

 

 

今までは。

 

 

 

今、正にこの瞬間にも、近代が作り上げ刷り込まれた社会や世界のルール、そして価値観は、音を立てて崩れ、常識と言う引力は失われ、深海に沈んだアンカーは、海面に向け上昇し始める。

社会が本当にそんな風に変容を遂げるのなら、、、

 

 

タツゴロウ(私)は、そんな未来への改革者でありたいですし、そんな自分を信じきって精一杯生きていくぞと。

自分なら出来る。

一緒なら出来ないわけがない。

 

 

金箔であしらわれた金沢の小箱のように、きらきらに輝いた未来。

上手くいかずに手をぷるぷるさせて、思わず「あ!!」ってなる失敗もするけど、夢や希望、そして野望が詰まったきらきらの小箱が出来上がっていたりするんだなと。

 

 

またワークも受けたいし、金沢にもいきたいな。

 

 

 

 

こうしようと思ったこと

もはやOL民。

タツゴロウ(私)です。

 

 

先月、出張報告書とジョン、そしてDVDを渡されたわけですが、まんまとしてやられました。あっという間にOL教信者、OL民になったわけです。

 

歴史に準えて分かり易く言えば、「M姉さん=ポルトガルジョアン3世」「サトゴロウさん=フランシスコ・ザビエル」。

そう、M姉さんの命により、布教にやってきたサトゴロウさんにより、OL教信者になってしまったんです。

 

 

・・・

 

おっさんずラブ

 

このドラマは、本当にヤバいドラマですね。

最初は単純な同性愛のドラマかと思っていましたが、サトゴロウさんの目の輝きがハンパじゃないわけですよ。もともとBL好きなサトゴロウさんですが、この目は本物だ、と。本気(マジ)の布教活動だ、と。

さすがのタツゴロウ(私)も、1枚目のDVDを挿入する時には手が震えましたね。この先に何が待っているのか、、、アフター『おっさんずラブ』とは、、、

 

 

「まずは、推しメンが決ったら教えてね

 

布教活動は、そんな可愛らしくも意味不明な言葉から始まるわけですが、最初はピュアな部長が推しメンになったタツゴロウ(私)。

でも、最終的にはずっとピンとこなかった牧が推しメンになりました。


話しすと本当にきりがないんですが、このドラマの何が面白いかって、全7話の中で、はるたんも牧も、部長に武川さん、ちずも麻呂も蝶子さんにも、キャスト全員に嫌なところを感じたんです、タツゴロウ(私)。でも、全員に凄く好きなところも感じるんです。こんなの風に人間が持つ裏表や、弱さや強さなどが偏りなく描かれていると感じたドラマは初めてでした。

 

本当にこのドラマで感じたことを書き出すと色々ありすぎて書ききれないんですが、一番大きな気づきは「愛」についてです。

 

 

「愛する」ということってどんなことなのか。

本当に考えさせられました。

 

 

タツゴロウ(私)は、気持ちを伝えたくてたまに「愛してる」って言う言葉を使います。そんなこと、40近くまで言ったことなかったんですが、ありがたい事にそう伝えたい相手に出会えてから、たまに使います。でも、これからは違う言葉にしようと思いました。

 

今度からは、こう思いを伝えようと思います。



「いつも愛してくれて、ありがとう。」

 


「愛してる」って自分の気持ちでしかないんだなって思ったんです。


自分はこれだけ想っているよとか、こんなに大好きだよとか、そういう事なんだと思います。でも、そう伝えて愛しているからどうだとか、言ったことで満たされる事じゃなくて、その人の幸せを心から願い、今自分自身が出来る精一杯のことをしたいって思ったわけです。

それが愛なんじゃないかと。


ですし、それ以前にそう感じさせてくれるほど、大きな愛を与えてくれている事、こんな自分を愛してくれている事への感謝の気持ちを伝えなきゃ、って。


その愛を味わい循環させる。

一緒にもっと大きな愛へ育てる。

共に成長し、共に笑い、共に幸せになる。

そう思えることが愛なのかなって。



気づきのきっかけは、いつもあなた。


いつも愛してくれて、本当にありがとう。




空気のこと

あんこをあんこで包んだものはあんこ、、、大福じゃない。

あんこだもの。

タツゴロウ(私)です。

 

 

はてなブログさんのカウントでは、36日ぶりのブログ更新だそうで、、、お久しぶりです。皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。

 

 

タツゴロウ(私)は、と言えば、、、

 

はい、すったもんだがありました。

あ、すみません。つい、りえママの娘さんの名言が飛び出してしまったわけですが、色々ありましたとも、色々と。。

 

 

と言うわけで、今日はその話はしないで、最近少し感じていたことを書いてみようか思います。

 

 

よく「空気がよめる」とか「空気がよめない」なんて言葉を耳にしますが、皆さんはどんな時にその言葉を使ったり、そう感じたりしていますか?

 

これはタツゴロウ(私)の周りだけなのかも知れませんが、「空気がよめる方」から「あいつは、空気がよめない」と言う言葉を聞く機会がほとんど無いように思います。

逆に「あの人は、空気がよめない人だ」と、よく口にされる方ほど空気がよめていない方のように感じることが多いという不思議。

もちろん、空気がよめるということ自体が定義されたことでは無いので、タツゴロウ(私)の主観でしかありませんが。

 

以前からこの現象の謎が気になっていたんですが、最近なんとなくその正体が分かってきたような気がしていまして、そう思って空気を感じてみると、わりと精度が高いのかなぁ、なんて思ったりしているわけです。

 

 

今思えば、「空気がよめる」と言うと、周りの集合意識を感じとれる能力のように思えますが、そこに違和感を感じていたわけで、、、ふと「よめる」は「読める」ではなく、実は「詠める」なんじゃないかと思ってみたら、なんだか腹落ちした気分になりました。

 

「読む」とは、集合意識などそこにすでに存在するもの(存在していると認識しているもの)を読むこと。

周りが何を考えているのか、どんなことを望んでいるのか、それを読む。

 

「詠む」とは、自分の中にある想いを言語化すること。

周りから感じたことをトリガーや刺激とし、自己を表現すること。

 

そこには絶対的な違いがあると思います。

そして、「空気がよめる」と言われている方達は、その違いを認識されて使い分けているんじゃないかと。

 

 

空気が詠めるは、空気の創造。

空気が読めるは、空気への順応。

ただ当然、空気を読めるからこそ、空気が詠めるわけですが。

 

 

実社会での言動はもちろん、SNSなどでのマウンティングや、投稿への意味不明なコメントなど、「はぁ!?」と思うことの数々。いろいろな場面で「空気」の存在や、「読むこと、詠むこと」を考えさせられる昨今ですが、そうい言うタツゴロウ(私)はどうなんだ、、、と自分を見つめ直すことばかりです。

 

 

空気とは、コミュニケーション。

空気とは、想いの循環。

 

 

誰かと向き合った時、自身がどんな空気を詠むのか。

また、その方にどんな空気を詠んでいただけるのか。

 

・・・ 

 

何だかとりとめも無い話になってきましたので、今日はこのへんにしようかと思いますが、水面に煌く陽の光のようなキラキラした瞳で、茶室から庭園を愛でるサトゴロウさんの横顔を見て、自分はこの瞬間をどんな風に詠めるんだろう、、、サトゴロウさんはこの瞬間をどう詠んでいるんだろう、、、なんて思った昼下がりでしたとさ。

 

 

 

ありたいこと

オロオロオロオロオロ...

タツゴロウ(私)です。

 

 

今日はちょうど20回目の月命日。

いつもより少し早起きして、ウォーキング前にゆっくり瞑想。そのおかげで高スピ度がアップしていたからでしょうか、ぼんやり感じてきたことが妙に腹落ちする体験をしました。

 

 

「あの人は、〇〇さんにはあまい。」

とか

「〇〇ちゃんは、男にだらしない。」

 

なんて話を、立て続けに耳にしました。

そういえば、昨夜サトゴロウさんも「女をなめたヤツだった。」って言ってたなと。

 

 

違うのかも知れませんが、そんな言葉を聞いていて思ったのが、

 

「あの人は、〇〇さんにもあまい」んだろうな、

「〇〇ちゃんは、男にもだらしない」んだろうなと。

 

 

良く考えてみると、一人の人間の言動が、ある特定の対象にのみ特別なエネルギーを発することって無いような気がします。もちろん、全く無いわけではないですが、基本的に人のもつ心やエネルギーは放射線状に、球体のように広がるもののように思います。

仮に意図的に特別なエネルギーを発せれたとしても、それは強弱の話であったり、刹那的であったり、色や本質を違うものにするのは難しいように思えます。

 

あまい人は、なんに対してもあまいですし、

だらしない人は、なんに対してもだらしないのではないかなと。

 

 

タツゴロウ(私)もこう見えて、わりかし成長しているようで、

以前は、好きな人から自分だけが愛されることを望んでいましたが、今は、周りのみんなに優しくて、みんなに元気や笑顔、大きな意味での愛を与えられる人に「あなたとずっと一緒にいたい。」な~んて、愛されたいと思っていたりします(笑)

逆に、たくさんのみんなから好かれ愛される男になって、そのエネルギーを真っ直ぐに大切な人に伝えられたらいいな、とかも思ったりもします。

  

たくさんの方に「素敵な人だよね~」って言われるサトゴロウさんが凄く大好きですし、タツゴロウ(私)もたくさんの方に尊敬されるようなエネルギーを持てる人になって、横でニコニコしてるサトゴロウさんの隣にいたいと思ったりしているわけです。

 

 

人間はそんなに簡単に自分は作れませんし、演じれないんでないのかな。

少なくとも、タツゴロウ(私)はそんなに器用ではないので、日々日々自分の心を磨いて、心を育てて行きたいなぁ、と思った夕暮れ時だったとさ。

 

 

 

 

パンダの名前募集が始まったそうなので、早速「あの」名前で応募してみたタツゴロウ(私)でした。

 

思い浮かべること

ベネチア

タツゴロウ(私)です。

 

 

今日、こんな言葉に出会いました。

 

何かあったときに一番に思い浮かべて
遠く離れていても近くに感じて
ときには理解されないこともあり
自分の弱みにもなる

ダメな自分も受け入れてくれて
自分らしくいられて
当たり前のようにいるけど
いざいなくなったら悲しくなる

 

当たり前のようですけど、こんな風に思える人がいること、、、それは幸せ。

そして、もしこんな風に思ってもらえるなら、、、本当にありがたいですね。

 

つまらないことで一緒に笑えて、同じものやことに共感共鳴出来る。

嬉しいことや悲しいことも、自分の言葉で話せて、受け入れてくれる。

時にはぶつかったり、傷つけてしまうこともあったりするけれど、ごめんなさい って素直に言える。

そして、何かあったりしたら自分のことより心配になる。

当たり前のようですけど、こんな風に接し会える人がいること、、、それは幸せ。

 

 

今日はうお座の満月。

いよいよです。

 

さまざまなことが「満ちる」夜。

空は生憎の雨模様。

 

でも、面白いもので、幾億の雨粒にお月様のエネルギーが溶け込んで、まるで北斎や広重が描いた絵のように、無数のエネルギーの線がタツゴロウ(私)の眼前を埋め尽くすわけです。

闇の先にかすかに感じる黄金のゲートが、雨にけぶって真鍮のように見えます。

 

 

 

今日はうお座の満月。

いよいよです。