書き記すこと
いよいよ始まりましたね!
世界中の皆さんが心躍らせ、熱狂し、感動に涙する、あの祭典がいよいよ始まりましたね。タツゴロウ(私)も、普段はそんなに興味は無いんですが、この時ばかりはやっぱり気になりますよね。
そう、「ヤマザキ 春のパンまつり」。
今年は、白いスクエアディッシュプレゼントですって!!
うぉぉ、ついに始まったかー!って感じですよねー、もーー!
さて、
今日車でラジオを聞いていたら「文化」って言葉を耳にしました。改めて考えると、文化って何だろう?って思いました。
早速、Googleさんに伺ってみると
人間の知的洗練や精神的進歩とその成果,特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが,今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い。
とのことでした。
確かになるほどそうだなと。でも、なんかそんな固い話でなくて、、、みたいな気がして、中学1年生の3学期の男子くらい、もんもんとしてしまいました。
そもそも「文」って何なんなのかって考えていて、一番しっくり来たのが「想い」でした。「想い」が「化けた」モノが文化のような気がしました。
「文」とは、人の知性や知恵をアウトプットした象徴ではないのかなと。
考えや想いをアウトプットする為のツールとして、活字が生まれ、それを紡ぎ合わせることで「文」が生まれる。「文」が生まれたことで、言葉の鮮度が格段に向上し、時間や場所をも超えて想いが広がることが出来たわけです。とんでも無いコミュニテーションツール。今のインターネットなど足元にも及ばないイノベーションだと思います。
考えた事を記すこと、そこで初めて時間や場所を越えて、多くの人にその想いを伝える権利が得られます。インターネットもその権利の上に成り立っていますしね。そして、それが多くの方に認識され受け止められ、大衆化、日常化し文化になっていくのではないかと。
誰かの想いが化けたモノ。
法律なんかも文化そのもののような気がします。
誰だって赤信号は止まれだって分かります。それは、親や学校の先生から教えてもらったことだと思いますが、一番最初は誰かが「赤信号は止まれにしよう。」って決めて記したから、国際的な文化となったんだと思います。
赤色の灯火
一 歩行者は、道路を横断してはならないこと。
二 車両等は、停止位置を越えて進行してはならないこと。
三 交差点において既に左折している車両等は、そのまま進行することができること。
四 交差点において既に右折している車両等(多通行帯道路等通行原動機付自転車及び軽車両を除く。)は、そのまま進行することができること。この場合において、当該車両等は、青色の灯火により進行することができることとされている車両等の進行妨害をしてはならない。
五 交差点において既に右折している多通行帯道路等通行原動機付自転車及び軽車両は、その右折している地点において停止しなければならないこと。
道路交通法の第二条に記してありました。
「文」として想いを担保しなければ、法律にも文化にもなりません。
これはすべての事柄に通じるものだと思いました。
そして、考えがまとまることはなく、高校2年生の夏休みの昼下がりくらい、もんもんとしてしまいました。
ただ一つ分かったのは、今では誰もが知っている当たり前のことや文化や風習でさえも、一番最初は、たった一人の誰かの思いつきなんだという事。
想うこと、書き記すこと、大切にしたいっす。