放つこと
「ボケ」が好きなタツゴロウ(私)です。
30年ほど前に、ソフジロウが60年以上連れ添ったソボジロウに「おめさん、どちらさんだね?」って聞いてたアレ、、、ではありません。
ほぼ視界ゼロの猛吹雪の元旦の深夜に「仕事に行く!!」と言って、家族全員の制止を振り切って、ステテコ一丁で外に繰り出したソフゴロウ(84)のこと、、、でもありません。
タツゴロウ(私)が好きなのは、樹木の「ボケ」のこと。
今日、『風見鶏っていいですね~』でお馴染みのホームセンターの園芸コーナーに「ボケ(木瓜)」があるのを発見して、テンションが上がりました。今日は耳の日、まだ3月上旬でボケに会えるなんて。
例年だと、3月の中旬頃、、、そうですね、タツゴロウとサトゴロウさんの記念日あたりに咲き始めて、春の訪れを感じさせてくれる、なんだかわくわくさせてくれるお花なのですが、耳の日にもう会えるなんて。
ふと見ると、タグに「バラ科ボケ属」。
咲く時期も、形も「梅」に似てるので、てっきり梅の仲間と思っていたタツゴロウ(私)。それも嬉しい発見です。
さらに、Googleさんで調べたら「梅」は「バラ科サクラ属」とのこと。
バラ科!
やっぱり同じ仲間だ!!
勉強になるなー、興味深いなー
って知的好奇心がスパークしながら、東京で学びや認識を深めるパートナーへ想いを馳せ、リンクしてみたりする昼下がり。
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「ボケ」が好きな理由は、そのビビットな色や、小さくぷっくらした形だけでなく、漢字で「放春花」と書くことだったりもします。
きっと、咲く時期が春に近いことで、春の訪れを感じる花ということなのでしょう。
でも、タツゴロウ(私)がもっとも好きなのは「放」のところ、「放つ」です。
同じ「ほう」でも、「訪れる」でなく「放つ」。
これって、凄いなって思うんです。
春は、訪れるもの(外的)ではなく、放つもの(内的)なんだーって思うわけです。季節は内にあり。
ユングの言う集合的無意識みたいな構造領域の中から季節は形づくられていたりするのかなぁ?とか考えてると、「ちょ、まてよ!」って、あっちに行って帰れなくなってしまいそうな自分を呼び止める自分自身がいたりして。
急に周りが静かになりましたが、まー、そーゆーのを考えるのが楽しいわけです。
内にある季節、放つ季節。
タツゴロウ(私)は、どんな春を放つのかしら(うふ)
サトゴロウさんは、どんな春を放つのかしら(むふ)