おすすめすること
先程、厠に行ったら、チャックが全開だったことに気づいたタツゴロウ(私)です。どなたか、いつから全開だったかをご存知の方は、ご連絡をお待ちしています。
今日は朝から雨模様。
桜の花弁も役割を終えたかのように力を緩め、雨に彩りを添えています。
そんな曇天の景色を眺めながら、早朝瞑想をしていた時にふと「雨が積もらないこと」に深い納得感を感じてみました。
タツゴロウ(私)も一応義務教育を終了していますので、雪は固体だから積み重なることや、雨は液体だから流れてしまうことは、知っているつもりです(違ったらごめんなさい。)が、そういう物理的なことではなくて、摂理的なこととしての捉え方です。
人間は極めて不完全な存在であって、タツゴロウ(私)は以前より「ヒトは不完全という完全体」だと思っています。と同時に「ヒトは自然の一部」であると考えているので『人工物』と言われるモノ、その当たり前のように捉えられている概念に、密かに違和感を覚えていたりしています。
ヒトは進化の過程で、たまたま知性と言われる特性みたいなモノを得ただけであって、他の動植物と何も変わらない「自然そのもの」ではないのかな、と思ってみたり、人工という考え方は、ヒトが特別な存在だという前提に担保された概念なんだと思っちゃたりもしています。
なので、違和感、、、なんです。
で、最初に戻りますが、瞑想をしながら雨を眺めていたら、雨と自分が同じモノのように感じた、っていう話なんですね。
もう少し分かり易く言うと、自分という現象と、雨という現象に、類似点が多いというか、相違点が少ないことに気づいたわけです。検証をしたわけでも無いですし、検証方法も分かりませんが、きっと相違点なんて見つからないんだと思ったんです。
雨は積もる段階ではないし、積もるつもりもないから積もらない。
雪は積もりたいから積もるし、その為に積もる状態に成る。
雨にも雪にも成りたくなきゃ、成らないし、状態にも成らなければ、その状態さえも知らない。
ヒトも一緒だなって。
そうですよね、だって同じ自然なんだもん。
みたいな納得感です。
タツゴロウ(私)にこの気づきがもたらされた時に、梵天さまが、それを広めるように現れるかとドキドキしながら、梵天勧請の行を練習してみたわけですが、梵天さまは待てど暮せど現れませんでしたね。
てか、このブログ読んでいただいた、ほとんどの方の頭に「?」が灯っているのが目に浮かびますから、広められっこないですし、そんな性質の話でもないかと。
ただ、タツゴロウ(私)にとっては、凄く大きな気づきというか腹落ち感があったとゆーお話でした。
ということで『早朝瞑想』、おすすめです。
(モーニングコールを入れた後が、瞑想ゴールデンタイムです。)