タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

くー!って思ったこと

早朝瞑想のあとに、一緒にモーニングコーヒーをゆっくり楽しく飲みたいタツゴロウ(私)です。
てか、早朝瞑想も一緒にね。



今朝副業の事務所でコーヒーをカップに注ぎ、今日の予定を確認していると、横から「タツゴロウさん、おはようございます。コーヒーいかがですか?」と、いつも気を使ってくれる同僚のオバチャンNさんの元気な声。
デスクにおかれたカップに目をやり「いつもありがとうございます。自分でいれましたよ。」とタツゴロウ(私)。
すると、Nさんがカップを見ながら「タツゴロウさんはいつも朝早いから、2杯目どうかなって。」と答えてくれました。
Nさんはデスクに置かれたカップに気づいていたのですが、Nさんの位置からはカップの中身までは見えたかったので空かも知れないと思ったんですね。

どこにでもあるような極めて日常的でよくあることだと思うのですが、あー、って思っちゃったことがありました。



当たり前のことですが、タツゴロウ(私)の近くにカップはあるので、上から中が見えるので中身がよく見えます。でも、遠くから横に見るとカップの中身は見えないんですね。はい、当たり前のことですよね。
でも、例えばタツゴロウ(私)の近くにおいてあったモノが、ハクション大魔王が出てくる壺のような形だったらどうでしょう。かなり垂直に近いような真上から覗かなければ、近くにいるタツゴロウ(私)でも中身は確認出来ません。ですし、その穴の大きさや深さによっては肉眼では確認出来ないのかも知れませんよね。当然、横から見ているNさんには中の状態を窺い知ることは出来ないでしょう。さらには、たまたまタツゴロウ(私)のそばに置いてあったモノがコーヒーカップだったので、中身はコーヒーだろうとなんとなく思えるというか、決め付けるというか。逆に壺であったのなら、胡散臭いオヤジが潜んでいるのかも知れないとか思うわけですよね。

この2つの切り口って面白いなぁっていうか、本質だよなぁって思ったって話なんですね。



時間と言う概念を持ち込むと急に厄介になるので、あまり触れませんが、タツゴロウ(私)は真実や真理という現象は常に存在していると考えています。正しい使い方ではないと思いますが『超実存』なんだと思うんですね。
先程の例えだと、器がカップであっても壺であっても、中身がコーヒーであってもオヤジであっても、それはすべて真実であり実存であるということです。
見る角度や経験の蓄積からくる認識。その2つの観点からオリジナルの実存を、そこに存在させてるわけですね。


この2つの線が交わる点を、タツゴロウ(私)も含め多くの方が「現実」だと思っていると思うんです。
だだ実際は、それはたった2本の線ではなく、まるで幾億幾千の星が宇宙に球状に無限に光の線を放ち、立体的なベン図のような形態をとっているのだと考えていたりします。現実とは無数に存在する点で埋め尽くされた空間、いわば真理、いわば超実存なんでないのかと思います。




ということで、今朝の出来事で、思っていたことや感じていたことが少し整理出来て、ここまで書いたのですが、、、
「で、何を言いたいの?」というとことですが、世界がどのように創られていて、どんな仕組みになっているのかを、もっともっと知りたいと思ったことと、それを知ったり学んだりすることで楽しく豊な人生を生きられると改めて感じたんですね。


そして、もう一つ。
サトゴロウさん凄いなぁって、これまた改めて思いましたね。


今書いてきた言葉を使えば、

真理や超実存は「アカシックレコード」。
コーヒーカップや壺は「占星術ホロスコープ、ヒューマンデザインシステム」。
見る角度や観点は「レイキやアクセスバーズなどのヒーリング、ヒプノセラピー、などなど」。

「こっち(実際はこっちもあっちも含めた)の仕組み」を前提にして、「パーソナルなその人らしさ」を知り、それ「最大化又は最小化する方法」を使い、人が生きていく中で溜め込んでいくビリーフやバイアス、葛藤の開放を、オーダーメイドで、まさに多次元的に実現しようとしてるんですよ。

皆さんが自分らしく、楽しく生きれるようになる世界。
それは、共に学び、共に成長する世界。



これって、すごくね?

マジすごくね??

マジ卍!




くー!

もっと知りたいなぁ、この世界のこと。
もっともっと知りたいなぁ、サトゴロウさんのこと。