空気のこと
あんこをあんこで包んだものはあんこ、、、大福じゃない。
あんこだもの。
タツゴロウ(私)です。
はてなブログさんのカウントでは、36日ぶりのブログ更新だそうで、、、お久しぶりです。皆さんいかがお過ごしでしたでしょうか。
タツゴロウ(私)は、と言えば、、、
はい、すったもんだがありました。
あ、すみません。つい、りえママの娘さんの名言が飛び出してしまったわけですが、色々ありましたとも、色々と。。
と言うわけで、今日はその話はしないで、最近少し感じていたことを書いてみようか思います。
よく「空気がよめる」とか「空気がよめない」なんて言葉を耳にしますが、皆さんはどんな時にその言葉を使ったり、そう感じたりしていますか?
これはタツゴロウ(私)の周りだけなのかも知れませんが、「空気がよめる方」から「あいつは、空気がよめない」と言う言葉を聞く機会がほとんど無いように思います。
逆に「あの人は、空気がよめない人だ」と、よく口にされる方ほど空気がよめていない方のように感じることが多いという不思議。
もちろん、空気がよめるということ自体が定義されたことでは無いので、タツゴロウ(私)の主観でしかありませんが。
以前からこの現象の謎が気になっていたんですが、最近なんとなくその正体が分かってきたような気がしていまして、そう思って空気を感じてみると、わりと精度が高いのかなぁ、なんて思ったりしているわけです。
今思えば、「空気がよめる」と言うと、周りの集合意識を感じとれる能力のように思えますが、そこに違和感を感じていたわけで、、、ふと「よめる」は「読める」ではなく、実は「詠める」なんじゃないかと思ってみたら、なんだか腹落ちした気分になりました。
「読む」とは、集合意識などそこにすでに存在するもの(存在していると認識しているもの)を読むこと。
周りが何を考えているのか、どんなことを望んでいるのか、それを読む。
「詠む」とは、自分の中にある想いを言語化すること。
周りから感じたことをトリガーや刺激とし、自己を表現すること。
そこには絶対的な違いがあると思います。
そして、「空気がよめる」と言われている方達は、その違いを認識されて使い分けているんじゃないかと。
空気が詠めるは、空気の創造。
空気が読めるは、空気への順応。
ただ当然、空気を読めるからこそ、空気が詠めるわけですが。
実社会での言動はもちろん、SNSなどでのマウンティングや、投稿への意味不明なコメントなど、「はぁ!?」と思うことの数々。いろいろな場面で「空気」の存在や、「読むこと、詠むこと」を考えさせられる昨今ですが、そうい言うタツゴロウ(私)はどうなんだ、、、と自分を見つめ直すことばかりです。
空気とは、コミュニケーション。
空気とは、想いの循環。
誰かと向き合った時、自身がどんな空気を詠むのか。
また、その方にどんな空気を詠んでいただけるのか。
・・・
何だかとりとめも無い話になってきましたので、今日はこのへんにしようかと思いますが、水面に煌く陽の光のようなキラキラした瞳で、茶室から庭園を愛でるサトゴロウさんの横顔を見て、自分はこの瞬間をどんな風に詠めるんだろう、、、サトゴロウさんはこの瞬間をどう詠んでいるんだろう、、、なんて思った昼下がりでしたとさ。