点ではないこと
自身の中で「点」だと思っていた概念が、ぱちっと音を立てて変わったのが分かりました。
数日前、サトゴロウさんから「私はこの人をこうだと決めつけたことはないよ。」と聞いた瞬間のことです。
タツゴロウ(私)は、何かと向き合うときに「これは、こうだ。」と決め付けていることが確かに多いです。そして、それは今までの人生での経験をストックして発動していた、いわゆる失敗しない為の防御本能のようなものなのかも知れません。失敗したくないから、今迄失敗してきた事をパターン化させて〇×を判断する思考パターンのようなものなのでしょう。そして、決め付けることによって評価(ジャッジ)が簡単になるというメリットもあったかと思います。その決め付けた部分との差異によって、これは良い、それはダメ、そんなことが容易に出来ていました。今思えば、それのおかげでスピード感を持った判断が行えてきたのかも知れません。
でもその習性のせいで、関わる皆さんの可能性を潰してきてしまったのだと思います。
「こんなことしたいんだけど。」
「これはこう思うんだけど。」
そんな風に聞かれた瞬間に、自身が決め付けたその人を、記憶や経験の中から作り出し、今迄の思考パターンにはめて「ならこうだね。」と理論的に答えます。今迄、そうやってきました。その人の過去だけを勝手に集積し、勝手に繋ぎ合わせ、勝手に正しい正解を作り出す。
そこには、未来や可能性はもちろん、時間の「ゆれ」や余裕など、一切なかったんだと思います。
サトゴロウさんに関しても「何か答えや意見を求めている。」「稼ぐにはどうしたらいいのか。」と思っているなど、数々の決め付けをもって接していたと思います。
中での一番大きな決め付けは「二人は一つ(にこいち)である事」だと思います。
20回以上に亘る転生の中での、さまざまな想いを紡ぎ、現世にやりたいことを持ち合い生を受けた。奇跡というにはあまりにも豊富なニアミスと共通点。望んだことが現実になっていくスピード感。それをタツゴロウ(私)は、二人は一つ、「にこいち」と表現していました。
そこに間違い(ズレ)があったことに気付かずに、ずっとサトゴロウさんを悩ませてきました。
確かに二人は、かなり近い関係なのだと思います。
ただ、一つ(点)では無いんです。
それを絶対的且つ普遍的なものと決め付けていたから、常にサトゴロウさんをそことのズレで見ていたのだと思います。
勝手に作り上げ、決め付けた概念。そこからのズレ。
タツゴロウ(私)は今迄いったい何を見て、考え、発言してきたのか。。
いつもタツゴロウ(私)に深い興味をもって、どんな話もきちんと傾聴してくれる、思いやりのあるサトゴロウさん。しかも、そこにはジャッジは存在しません。否定は一切なく、要所で行動への背中を押してくれるべく肯定をしてくれます。
そんなサトゴロウさんの愛情や努力の上に成り立っている関係性であったにも関わらず、それを「にこいち」と称し、訳の分からない自己肯定や自己実現を押し付けていたのです。そして、サトゴロウさんが本当にやりたい事や感じたい事を、抑圧し続けてきたのだと思います。
送らばせながら、先週はそんな事に気づき、全く新しい概念を前提に生きていけることになりました。
サトゴロウさん、いつもありがとう。