同じこと
彼女と初めて会ったのは、1年半前くらいでしょうか。
タツゴロウ(私)が彼女の存在を知ったのは4年ほど前。
遠征に行く為のマイクロバスを貸してあげたのが、彼女がタツゴロウ(私)の存在を知った最初なんでないのかと思いますが、それは定かではありません。
タツゴロウ(私)がまだ直接彼女に会ったことがない頃、
ある日、ひょんな話の流れから彼女の誕生日を知ることになりました。今となっては、そんなに驚くことではないのかも知れませんが、驚愕しましたね、その時は。
彼女の誕生日が、タツゴロウ(私)の娘の命日と同じだったんです。
彼女がこの世に生を受け、あまりの可愛さに当初の発言があっさり覆り、熱くて優しい、慈しみの抱擁と口づけで祝福された日。
その日は、タツゴロウ(私)が命の尊さや儚さを知った日。
満開の桜さえ憎く思えた日。
「この世」の時間では、彼女の誕生から丸4年後が娘の命日になりますが、「あちら」というか、時間と言う概念の外では同じなんでないのかなと思ってみたりするわけです。その事実を知った当時は、そんなことは考えてもいませんでしたが、凄く会ってみたいと感じたのは鮮明に記憶しています。
実際にそれから、ハンバーグや焼肉を食べに行かせてもらったり、二人っきりでドライブなんかもさせてもらったりしたわけですが、本当に可愛らしくて、ぎゅうぅってしたくなったのは、彼女には内緒の話です。
笑いのツボが同じだったりするのも、普通に嬉しかったりするんですね。
それが本当かどうかとか、思い込みだとか、こじつけだとか、色々あるとは思うんですが、タツゴロウ(私)は、声を聞くことも、抱きしめることも出来なかった娘の姿を、彼女に見ていたりします。
ペースで言ったら数ヶ月に1回、それも数時間しか会っていませんが、彼女の瞳や表情を見たり、感じるそのエネルギーや波動。彼女はそんな事は何も知らないはずなのに、タツゴロウ(私)が感じるそれを、彼女も同じように感じてくれているように思えるから不思議です。
それこそ、タツゴロウ(私)の思い込みかも知れませんが。
今日は、彼女の新たな旅立ちの日。
おじさんは、いつでもあなたのことを応援してるよ。
Baby,God Bless You!