タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

そこにあること

「趣味は田中角栄です。」

 

そう言ったのは、自民党幹事長や副総裁、内閣官房長官などを歴任された二階堂進さんでして、立場上、その一つ一つの発言が社会に与える影響が大きいにも関わらず、公然とそう言ってのけるあたり。調べてみると、趣味とは『人間が自由時間に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。』とありますが、一個人をつかまえて趣味と言ってはばからないあたり、、、一本気な薩摩気質とでも言うんでしょうか、、、好きだなぁと。

そう言えば、あまり多くを語らず、感情を表に出していることもほとんど見たことの無い ソボゴロウから「二階堂さんは、いい男だ。」と、遠い目で言っているのを何度か聞いたことがあります。なんなら「個人的に角栄に何もしてもらったことは無いけど、二階堂さんに会わせてもらえた事には感謝してる。」とも言っていましたね。

ファンかと。

てか、乙女かと。

 

 

戻りますが、その「趣味」という言葉の使い方がすごく面白いなぁと思うわけです。

二階堂さんが使われたその言葉の中には、単純に好きということだけではない、とても大きな何かを感じざるを得ません。

 

二人が身を置いている政治の世界は、生き馬の目を抜くような権力闘争の世界です。プライドの固まりのようなエリート達が、権力や覇権を争うどろどろの世界。そんな中で「趣味は田中角栄。」と言い切る背景には、敬意はもちろんですが、屈辱や恨めしさなど、さまざまな感情や葛藤をぜーんぶを包摂する「愛」の姿を感じるのはタツゴロウ(私)だけでしょうか。

当然、そう言い切ることが自身の政治生命にとって大きなメリットがあったことも容易に想像出来ますが、同時に大きなリスクも存在したわけです。いずれにしても、それは表面的な話だろうと思います。

やっぱり、愛なんだろうなぁって思うわけです。

 

よく分かりませんが、タツゴロウ(私)は、田中さんも二階堂さんも「人を愛する人」のように思います。

 

 

同じ言葉でも、使う人やその想いによって、意味が変わるのって不思議ですよね。

 

自らの語彙力や表現力の乏しさに切なくなることもあるタツゴロウ(私)、その為に(だけでは無いですが)三十路近くになってから本を読みあさったり、色々学んできたつもりですが、知れば知るほど、体験すればするほど、コミュニケーションや表現の難しさや、自身の至らなさを痛感します。

でも、この二階堂さんの言葉の使い方を改めて考えてみると、その単語や言葉が持つベースの意味よりも、その言葉を選択する想いにこそコミュニケーションの本質があるように思います。演説の天才といわれる田中さんの言葉もそうですよね。難しい言葉を使い上から主張を訴えるわけでもなければ、マウンティングするわけでもなく、とてもシンプルで分かり易い言葉で心に訴えかけてきます。

難しい言葉を知っているとか、上手に話せるとかって、この「想い」と言う大前提の上にしか成り立たないことなのかなぁとも思えます。

愛する力ってすごいですね。

 

 

今日、5月4日は田中角栄さんの誕生日。

1918年生まれですので、今日で生誕100年です。

そんな節目?の日に、そんなことを思ってみたタツゴロウ(私)でした。

 

 

 

ちなみに、

タツゴロウ(私)の趣味はサトゴロウさんです。