木を見ること
車両番号と車体番号は違います、車体番号なら車体に打刻されるので何かと安心ですね。
タツゴロウ(私)です。
渋滞なんてするはずない場所で、そこそこの渋滞が出来ていたのは午前中の事です。
「今日の東名上りか!」
と突っ込む暇もないほど、軽度な渋滞だったのですが、渋滞なんて考えられない田んぼ道なので何かあったのかな?と心配になりましたね。
のろのろ運転で進むと、前方の車が反対車線に膨らみながら進んで行くのが見えてきたので、何かをよけている事が分かりました。
タツゴロウ(私)がそこを通過する時、そこには、野球部がグラウンド整備に使う「トンボ」のような物を持った初老の男性が一人。
その方は、道路に落ちている泥の塊を、そのトンボを使って路肩にかき出していました。
タツゴロウ村は田園地帯ですので、この時期になると一斉に田植えが始まります。すると、その際に使われる田植え機などの農耕車両が落とす泥が、道路に散見されます。恐らくその方は、ご自身が道路に落とされた泥を路肩にかき出し、道路の清掃をされていたのだと思います。
大きな塊だと踏むわけにも行かない為、避けて通らざるを得なかったり、乾いて固まってしまったものが散乱していると、ガタガタ道なってしまいます。車はまだ良いですが、不安定な二輪車であったり、そこが通学路だったり場合、車でもハンドルをとられたり、危険な状態になったりします。ですし、そういった障害物などの存在は、個人差はあるかと思いますが、ドライバーの皆さんのストレスにもなり、間接的にも交通の危険度が高まってしまうのではないかと思います。
ただ、タツゴロウ(私)自身もそうですが、その道路の泥の塊は「この時期あって当然」という認識でしたし、多くの皆さんが同じ認識で、そこを批判したり攻めたりしているような話はあまり耳にしたことはありません。
(たまにそういった方もいますが。。)
だからこそ、逆に驚いてしまったんですね、その方のされていることに。
タツゴロウ(私)の気のせいなのかも知れませんが、「その道路」に泥の塊が落ちているのをあまり見たことがないように思いますし、タツゴロウ(私)が知らなかっただけで、そういう方々のおかげで、泥の量は例年あの程度に収まっていたのかも知れません。
「木を見て森を見ず」ならぬ「森を見て木を見ず」
あのおじさんのような、一人一人の米農家の皆さんの気持ちが交通の安全を担保していてくれたのかなぁ、と感じました。
もしかしたら、タツゴロウ(私)の過大解釈で、あのおじさんはレアな存在なのかも知れません。でも、繁忙期で自身のことだけに目がいってしまうような時期に「人様に迷惑をかけない」「人様が喜んでくれる」、そういう気持ちで仕事をされている方がいるって凄いなぁと感じました。
業界と自社の関係性や役割についてのコラムをどんな風に書こうか考えていると、こういう方の存在に気づけたりするのも、いとをかし。
森を見ることも、をかし。
木を見ることも、をかし。
考えること、学ぶことも、またをかし。
生きること、愛すこと、、、いとをかし。
タツゴロウ(私)も、あのおじさんみたいに働こうと思いましたとさ。