体験するということ
「男は女の最初の恋人になりたがるが、女は男の最後の恋人になりたがる。」とは、オスカー・ワイルドさんの言葉ですが、そのオスカー・ワイルドさんの言葉に、こんなものもあります。
本当に魅力的な人間には、
2種類しかない。
何もかも知り尽くしている人間か、
まったく何も知らぬ人間かのどちらかである。
以前『 sumika』さんというミュージシャンのLoversと言う楽曲を教えてもらい、その歌詞の中で冒頭のフレーズを聞いて、調べてみたらオスカー・ワイルドさんにたどり着き、そこからタツゴロウ(私)の興味の対象になりました。
同性愛の罪で投獄され、獄中で亡くなられたとのことで、最終的には宗教や道徳観さえ人生の役にも助けにもならないとまで語られたとか。唯美主義者として語られるている事が多い方ですが、あらゆる概念を削ぎ落とし、その先にある「美」とはなんなのか、いつも考えてしまうのはタツゴロウ(私)だけでしょうか。
そこで、冒頭の魅力についての言葉なのですが、最近じわじわくるなぁって。
ワイルドさんは劇作家ですので、自身の哲学的思想を単純に言葉に表しただけではなく、言葉として「両極の美」も合わせて表現されているのかなぁとか、いろいろ妄想にふけってしまうわけです。
先日、サトゴロウさんに確認した「体験」の概念。
起ったことではなく、それに対して自身がどう感じて、どうしたのかこそ、体験。
今日のお話しの場合だと、ワイルドさんの言葉を知ったということが経験ではなく、それをどんな風に受け止め感じ、考えたのか、それが体験です。
タツゴロウの体験レポートとしては、
何も知らないを知っているってすごさ。
ヒトは不完全な完全体だと知りながらも、無知という極から、全知という極までを、揺れながら、迷いながら、3歩進んで2歩下がるような旅をするような人が魅力的だなぁって思いました。
目標や目的に囚われない探求心や向上心。揺れることの楽しさ。
それは旅をするって決めた人にしか味わうことの出来ないご褒美なのかも知れませんね。
以上、現場のタツゴロウでした。