タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

バリアフリーなこと

昨日は「世界のI氏」と一緒に講演会。

当初50人程度と聞いていた参加者は、告知から一週間程度で100名になったとの事。さすが、世界のI氏。。

タツゴロウ(私)はオマケ。。

 

そして、今日は人数が集まらないから、どうしてもと頼まれた講習会へ参加。

すごく行きたくなかったんですが、行って見ると、、、よく出来ているなと。

講演の内容ではなく、タツゴロウ(私)のここ数日の体験が、気づきのストーリーになっているんではないかと。

 

 

今日の講演テーマは「バリアフリー」。

 

・・・

 

週末に、また大切なサトゴロウさんに嫌な思いをさせてしまいました。サトゴロウさん、いつもごめんなさい。

原因はすべてタツゴロウ(私)にある、、、それが、その原因が理解できていないからタツゴロウ(私)は同じことを繰り返してしまうのだと思います。分かってないんです。

「きっと、こうだろう!」と思えた考えも数知れず、でも本質には近づけてはいないんだと思います。なぜなら、同様の事を何度も起してしまうから。

原因の原因の原因の原因、、、ずっと考えてます。

 

 

・・・

 

先日の講演会。

もともと人前でも、あまり緊張しないタイプのタツゴロウ(私)ですが、知らない方が100人来るよと聞かされた時から、ドキドキしちゃいました。でも、それは人数の多さだけではなく、聴きに来てくれると言ってくれていたサトゴロウさんが、きっと来てくれないだろうと思っていたからです。あんなに嫌な思いをさせたんだから、聴きに来てくれるわけないと。

どんなに大勢の前で話すより、サトゴロウさんの前が一番緊張する、そう思っていました。だって、失敗したり、かっこ悪いとこを見られるのがイヤでしたから。でも違ってました。実際にサトゴロウさんが来ない+聴衆100名超って思った瞬間にすごく不安になって緊張してきました。多分、ダメだなって。

恥ずかしい話しですが、凄く怖くなって、繋がりたくて「行ってきます。」なんてメッセージを送ってみたり、本当になさけない男ですね。でも「行ったら入れるんだよね。」て、すぐに返信。泣きそうになりました、凄く心強かったですし、もう別に失敗して恥かいてもいいや、って思えるくらい嬉しかったです。

そして会場につくと「いつも通り思ったことや、感じたこと、そのまま話してくれれば全然OKですから。」とI氏。そして、入口をずっと見ていると、、、本当に来てくれました、サトゴロウさん。

まだ始まってもいないのに、終わったくらい楽になりました。

・・・講演後は、凄くいい話を聞かせてもらったって大勢の方からお声がけいただけて本当に良かったです。

終わってからサトゴロウさんにお礼を伝えることは出来なかったんですが、車の中で一人考えていた時に、タツゴロウ(私)は、あっちとこっちの人を物凄く区別しているんだなと思いました。悪い言い方だと「敵と味方」みたいな事を、常に、そして強力に、しているんだなと感じました。

 

・・・

 

 

そして、今日の講演会。

頼まれたから行く、そんな感じですので、演題も全く知らなかったんですが、会場にはいると、どーんと「バリアフリー」の文字。

 

はっと、しました。

 

バリア、バリア、、、バリア。

 

 

 タツゴロウ(私)は、バリアをはって生きてきたんじゃないかと思いました。

心のバリア?

精神のバリア?

魂のバリア?

 

今までの事を考えると、原因の原因の原因に、このバリアの存在があったんじゃないかと感じました。それは、強いバイアスとなってタツゴロウ(私)の意識を支配していたんじゃないかと。

 

 

いつもどこかで感じていた、伝えてることと、伝わっていることとのギャップ。

こんなに考えて、こんなに考えて、言葉を尽くしているのに、なんでちゃんと伝わらないんだろう?今、思えば恥ずかしく、情けないことですが、そう思っていたんだと思います。それに「あっちの人、こっちの人」なんて概念は、極めて主観的で、自分勝手で、コミュニケーション上、何の意味もないことなんだと思いました。

と言うか、受け入れることを自分の都合によってバリアをはって、相手の言葉や想いを勝手に自分勝手な解釈をして、都合よく納得させていく。それは、自分自身の中に入ってこられる恐れや、何かが変わってしまうことへの恐れからきていたのかも知れません。

これは、サトゴロウさんだけではなく、周りの皆さんに同じような事をしてきたんだと思います。

 

 

サトゴロウさんが何度も話してくれた言葉。

「私が成長すると、タツゴロウさんも成長するの。タツゴロウさんが成長する為には、私が成長しないと。」

 

その本当の意味も理解できないくせに、そんなサトゴロウさんを 当たり前の存在のように錯覚して。勝手に都合の良い「こっちの人」にして、嫌なところはバリア。

知りたいとか、感じたいとか思うけれど、実は深いところではバリアをはっている。一緒に成長をしたいって願い、頑張ってくれている人に、なんて薄っぺらな対応をしていたんだろうと思いました。

 

「なんで?なんで?なんで?」

なんて表面的な悩み。悩みにもならない悩み。

 

 

これが仮面というやつなのか、もう一度、リズブルボーさんの本を読み返してみます。

もっと自分を知らないと、大好きなサトゴロウさんのことも知れない。

一緒に歩いていきたいなんて言えない。

こんな環境の中で、こんなに親身になって、こんなに関心をもってくれて、こんなに慕ってくれて、こんなに時間をつくってくれて、こんなに我がままを聞いてくれて、いつもエネルギーを送ってくれて、心配してくれて。

共に成長しないと、って教えてくれて。

 

ありがとう。

 

 

・・・

 

 

本当の部分は内にあり

 

表面的な技術やマネごとじゃない

 

伝えるんじゃない、伝わるんだ

 

 

 

先月はじめに一緒に受けたワークショップで感じたことを、自分でメモっていたこと。

「きっと、こうだろう!」なんて、おこがましい。

でもなんか、ほんのほんのほんの少しだけ分かった気がします。

 

 

自分のこと、そしてサトゴロウさんのこと。

 

バリアと仮面の存在が分かれば、、、、

やっと、やっと、ここまでこれた気もします。

いつもありがとう、、、ごめんね。