タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

迎えること

クリスタル~たからづか~

クリスタル~たからづか~

 

『シャンシャン』と言ったら、パンダではなく、宝塚。タツゴロウ(私)です。

名前公募で『サトゴロウ』って応募して落選してから、ちょっとだけ やさぐれたのはここだけの話です。

 

 

 

そこで疑問に思うことがあって、この「やさぐれ」とかの感情ってどこから来るんでしょうね?

 

感謝や幸福、安心に尊敬。恐怖や欲望、嫉妬や軽蔑、それに勇気、怒り、苦しみ、哀しみ、などなど、あげたらきりがありませんね。

ですし、抱えたり、こみ上げたり、押し殺したり、交差したり、湧いたり、高まったり、何だか忙しいのも感情だったりしますよね。

 

そこでタツゴロウ(私)は、どんなシーンでどんな感情を感じているのかを、いただいた『銘菓 雲が〇れ』を食べながら「これなぁ、これなぁ。。」と、その味や食感だけでなく、いろいろな感情を噛み締めながら、改めて考えてみたわけです。

 

 

そこでなんとなく分ったのが、感情は自分ひとりのモノではない、ということでした。

 

感情というと、視点が一人称のようなイメージをもっていたのですが、二人称や三人称的な視点で形作られているようなモノが多いように感じました。

それは、自身がその感情という現象にある時、それを認識でき、しかも味わえていることって意外と少ないんじゃないかと思えることと、その現象は、外的なモノ抜きには説明がつかないことばかりだと思ったからです。

そしたら何だか、感情って「チーム」みたいだなって思えてきたりしたわけです。

 

これはきっと、先日「TEAM NACS」のライブビューイングを見た影響が大きいんだと思いますが、その「感情ひとつひとつ(ひとりひとり)」が個性や らしさであって、外からの影響をうけあいながら、違う輝きをはなつ。

この輝きの集積がチーム、そして、それが奏でるメロディやストーリー。

「それ」が、自分だったりするから、無意識の中で一人称に感じてしまっていたのかも知れません。

 

さて、自分でも良く分からなくなってきましたので、そろそろお開きにしようと思いますが、

感情って「迎えるもの」ってのが、今、一番しっくりきていたりします。中とか外とか、そういうベクトルの話ではなくて、、、迎える。

 

 

感情って、おもてなしのことなのかしらねぇ。