山口メンバーのことじゃないこと
「間違い」と「勘違い」の違いについて、妄想していたら眠れなくなったタツゴロウ(私)です。
今まで、なんとなく使っていたその2つの言葉が妙に気になったのは1週間前くらいでして。
自分が発した時も、どなたかが使った時も、それってどういうことなんだろう?って、得たいの知れない疑問というか、好奇心のようなものに囚われてしまい、このモヤモヤを払拭するべく、自分はもちろん、周りの皆さんがどんな時にこれらの言葉を発しているのか、耳をダンボにしていたわけです。
結論からいうと、
『間違い』は「確実に違う(何か正しいものがある仮定)」場合に使っていることが多いようでした。逆に『勘違い』は、「認識が違う(思い込み)」という場合に使われていることが多い感じでした。言葉の意味や使い方がどうとかの話しではなく、タツゴロウ(私)は、皆さんの使い方をそんな風に感じたんですね。
それで、この傾向って面白いなぁって思って、さらに妄想をしてみたんです。
『間(ま)』が違う。
『間』って日本独特の考え方のような気がしていまして、単純に物理的な「間(あいだ)」ってことじゃなくて、凄く抽象度が高くて、時間や呼吸、余白とか空気とか、さまざまな要素を沢山もってる素敵な言葉だと思うんです。ですし、だからこそ『間』って個々で完結するものでなくて、関係性の総称みたいなイメージもあったりします。
だから「間・違う」って、繋がり方が違うよーってことだったりするのかなって思ってみたりするわけです。
一方、『勘』が違う。
『勘』って「思いつき」的なイメージなんですが、『勘』と言う文字をを二つに分けると『甚』と『力』です。甚は「度を越えた」とか「はなはだしい」などの意味があったりします。とすると、「度を越えた力、はなはだしいほどの力」それが『勘』だったりするのかなぁ、なんて思ったりもします。確かに、他のデータなどに立脚せず、いわゆる「ピンとくる」ような形で真相を感じとる力は、度を越えた力なんだなぁと。
だとすると「勘・違い」って真相を感じ取る極めてパーソナルな部分が違うよーってことあったりするのかなぁって思ったりしたわけです。
これって、普段の使われ方と、ちょっと「違う」なぁ、って。
タツゴロウ(私)の妄想だと「間違い」は、相手があっての相対的な違いで、認識や思っていることが違うってことのような解釈で、確実に違うと言うようなこととは違います。一方、「勘違い」は、自身の極めてパーソナルな部分の違いであって、絶対的且つ確実な違いなような気がします。
で、こんなことを妄想しながら若干の睡眠不足になりつつも、早朝瞑想で味わい直して楽しんでいるわけですが、この楽しみ方は「間違い」なのか「勘違い」なのか。
そもそも「違い」ってなんなんだとか。
なんの為に「違い」ってあるんだとか。
あっていようがいまいが、
答えが出ようが出まいが、
「自ら考えること」って凄く楽しいし、大切したいなぁって思ったってお話でした。
考えるって本当に面白いなぁ
でも、山口さんのこと考えてる時間なんてどこにもないなぁ