タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

おすすめすること(2)

やっと明後日。
タツゴロウ(私)です。


お釈迦さまは入滅の前に「この世は甘美なものだ。」と、言ったとか言わなかったとか。
正否の話ではなく、日本海溝くらい深いなと、思うわけです。

色んな捉え方や考え方があると思うんですが、その甘味や美しみを感じるのは自分自身であり、ある種の生き様のような感覚なんでないのかと、思ったり、思わなかったり。



昨朝の早朝瞑想で、そんな「生き様」に対してのアンテナが立ったので、明日(今日)のタツゴロウ日記のテーマを「生き様」に決めたわけです。
不思議なもので、そう決めた矢先に、いつも一緒仕事をしてる方が急にタツゴロウ(私)の生き様について語ってくれるから面白いですよね。

ブログの書き方について「タツゴロウさんは頭真っ白だから、その方がいいよ。」と、サトゴロウさんから教えてもらっていたわけですが、本当にそうだなと。
ですし、サトゴロウさんのアカシックからの情報や、ヒューマンデザインシステムなどを統合した多角的な知見の精度には、唸るしかないのは言わずもがな。今日もその精度の高さをタツゴロウ(私)自身の体験と、報道で目の当たりにしましたが、今日はタツゴロウ(私)自身の体験のお話です。


・・・


甘美と苦醜は絶妙な相対関係にあると思うのですが、彼から聞いた話がどちらなのかは、タツゴロウ(私)自身がジャッジする性質のものではありません。



その方曰く、「タツゴロウさんが居るときと居ないときの、周りの方々の空気が違うんです。」と。
これは、副業先の話です。


はっ!と思いましたね。

当たり前のことなんですが、タツゴロウ(私)は、タツゴロウ(私)がそこに居るときのことしか知りませんし「それだけ」が現実だと思っていました。でも彼は、タツゴロウ(私)が居ないときの「もうひとつの現実」を知っているわけです。
(ちなみに彼は、取引業者さんです。)


そこから彼が何を語ったのかは、主題ではないので置いておきますが、客観的な自分自身を知ることで、自身の生き様が、モノクロからカラーに変わったくらい生き生きと、そして鮮明に感じられたんです。


自分に都合が良いことを「良し」とし、そうでないことを「悪」とする。そんな小さな話ではなく、自分と言う人間、因数分解したら、肉体と魂。脳や心、違うタイムラインとの縒られ方とか、自分自身の「生きる」という有り様が、確かにそこにあったように感じました。

そこはかとなく感じる甘味や輝き。
隠微な苦味と暗さ。

昨日のすり抜ける感覚を「静」というのなら、今日の感覚は「賑」。




タツゴロウ(私)がこっちであとどのくらいいるのかは分かりませんが、毎日、精一杯生きて(=愛して)また「いつもの」ように、「またねー。」って、最愛のサトゴロウさんに伝える時がくるのなら、その寂しさと悲しさと同じくらいの甘美を感じるんだろうなと思ってみたわけです。


今日も訳ワカメな話でしたが、

早朝瞑想、おすすめです。