Like a bird なこと
Like a bird.
鳥のように。
タツゴロウ(私)も幼い頃からさまざまなところで耳にしてきたフレーズで、多くの皆さんの心の中にすっと溶け込んでいくような響きのある言葉ですね。
翼をもって、自由に、大空を飛び回りたい、そんな姿を自身の人生に準え、世界中の誰もが共感し憧れを抱く言葉なんだと思います。タツゴロウ(私)も、もちろん自由への憧れやそんな風になりたいと思っていたわけですが、最近少し違和感を覚える感覚があったので、何だろなってことで、ちょっと整理してみようかと思った次第です。
もちろん、数年前、年俸4億円で登板回数0だった松坂大輔選手の肩の違和感ほどの違和感ではありませんので、大したことではありません。
思ったのは、Like a birdには、別の言葉がセットになってることが多いんだろうなという事。
英語で言えば、「I want to be」
日本語言えば、「なりたい」
I want to be like a bird.
鳥のようになりたい。
そうではない現実を前提とした、望みや希望が込められていると思うんです。悪く言えば現状の否定です。
そこで思ったのが、本当にそうなのかな?ってことです。
考えたことを全て書き始めたら、文庫本一冊文くらいになるという恐れと、まとまりがつかなくなるという恐れ(以下:W恐れ(使いませんが))があったので、そこは割愛させていただいて「本当にそうなのかな?」でまとめさせていただきましたし、実際にただそれだけです。
ヒトはすでに自由ですし、サルトルに言わせれば自由の刑に処されているわけです。
かの有名な名言に準えれば、
「お前はすでに飛んでいる」
(...ひでぶっ!)
そんな感じでしょうか。
この世という名のあの世で今存在していること。
オマケにもう一つ準えれば、
「わたし!飛んでるわ!!」
みたいな。
決して、現状の認識や、未来への希望、向上心を否定するものではありませんし、鳥のようになりたいと願うことも素敵ですが、「ちゃんと飛んでる(あたりまえのように)」って感じれることもまた素敵なことなんでないかと思ったタツゴロウ(私)でしたとさ。
・・・
見上げれば、北帰行の白鳥の群れ。
Birds are like us.
春はもうすぐそこですね。