承認すること
「お互いそこには一切ふれないんですよ。」
と言っていたのは副業の後輩です。
休日は、隣町にあるジムでボルダリングをするのが趣味の彼。
彼は、タツゴロウ村周辺ではトップの進学校を卒業し、関西にある有名大学に進学。その後、大学生活の中で心を病んでしまったそうで、退学をし東京に行って職を点々としていたそう。そんな生活を5年ほど続けましたが、そこに終止符を打つべく、郷里に戻ること決意し、Uターンでタツゴロウの副業先に入社してきました。
そして始めたのがボルダリング。
そのジムで、同級生と良く顔を合わせることになったとのこと。
確実にお互い同級生だと分かっていて、しかも部活も同じ。お互いの家にも遊びに行き来していた仲だったそうなんですが、お互いそこには一切ふれないんだそうです。
そそり立つボルダリングウォールの前で約10年ぶりの再会を果たした時も、「久しぶり」の一言もなく、どんな風に上ればあの場所に到達出きるか、身体の動きについての意見交換をしたとのこと。
それからも度々ジムで会うのですが、過去には一切ふれないんだそうです。
「どうしてなんだろうね?」と、タツゴロウ(私)。
「きっと、彼もいろいろあったんだと思いますよ(笑)」と、彼。
彼「も」。
二人共、頑なに過去を見ないようにしている訳ではないような気がしますが、当時の話を始めると、まだ自分が向き合いたくない直近の過去についても話さなくてはならないような恐怖のエネルギーを感じたりします。
共に進学校から有名大学に進むという、周りが羨むような人生を送ってきた訳ですが、彼が知っているのは、その友人は現役で在京のK大学へ進んだことと、そして今はレンタルビデオ屋さんでレジを売っていると言うことを両親から聞いたそう。知っているのはその2つ。その間については何も知らないそうです。
未来は過去の延長線ではなく、因果関係もない。
大切なのは今と未来。
確かにその通りですし、タツゴロウ(私)もそう思い生きています。
でも、肉体(脳も含む)に蓄積された経験は無くなりませんし、それを忘れることもなかなか難しいのも現実なんだと思います。忘れることではなく、意味づけを変えること、これもまた一朝一夕には難しいことだと思います。
過去と向き合う勇気、恐怖
未来への不安、進むことへの恐れ
難しいですね。
タツゴロウ(私)も、こう見えて(?)それなりに傷を負ってきて、絶対に誰にも話したく無い過去、無かったことにしたい過去。向き合うことなんてありえない過去、そんな過去もありましたが、2年半ほど前にある方とラーメンを食べに行った時に、その過去をぺらぺら話している自分がいたりして。
それがサトゴロウさんです。
今、思えばあの瞬間、初めて過去と向き合うこと、新しい未来へ進むことを自ら承認したのかなと思ったりする訳です。
彼ら二人が再会した時に目の前にあった大きなボルダリングウォールは、過去も未来もひっくるめた自分自身そのものだったのかも知れないなと思ったわけで。
考え、上っては落ち、また諦めずに考えて上って。
自らを承認するプロセスって、難しいし、怖いし、辛いけど、、、けど、、、
東京は晴れてるかなぁ