みちること
有明の月が優しく微笑みかけてくれました。
タツゴロウ(私)です。
少し前からなんだか気になっていた言葉、「満ちる」。
先日 サトゴロウさんに
「タツゴロウさん、最近だいぶ変わってきてるよー。男っぷりがあがってるよー。」って言われて、とっても嬉しく、きゅんきゅんきたわけですが、確かに満たされている感覚が今までと違う感じがしていました。
なんだかこう、2年半くらい歩いてきた道がしっかりと見えてきたような気がします。
人生って、どんな器を作って、そこに何を満たしていくのか、、、的な側面があるような気がしていまして、40年かけて器の形状や満たしたいものが、分かってきたところにようやく来れたような感じ。でも同時に、それだけなのかなぁ...という疑問が湧いてきたりしているわけです。
タツゴロウ(私)の場合はどうでしょう。
器を作って満たそうとするも、横風にあおられたり、その重みに あっちへふらふら こっちへふらふらして、たぷんたぷんと溢したり、手を滑らせて溢してしまったり。
うまく進めず足踏みしたり、回り道したり、そんな風にしながら器を満たしていく。
時折、勢いでたくさん入れすぎて溢したりもして。
本当に色々あるなぁ、と。
でも、そのプロセスって本当にありがたいなぁて思ったわけです。ただ、満たして終わりでないんですもんね。逆にただ満たすだけなら、もしかしたら人生つまらないモノになってしまうのかも知れません。
「 雨振って地固まる」のように、自身の満たしたいものがこぼれることで、自らの道を固める。そして、真っ直ぐ進めず、左右に振られたり、逆戻りしたり。そうしながら、踏み固められて人生の地が、踏み固まり、道になるんでないかと思うんです。
溢して踏んで、また溢して踏んでこその、自らの道。
「満ちる」や「充ちる」の先にある、「道る」。
そんな人生を歩んで行きたいと思うわけです。
タツゴロウ(私)の場合は、満ちる前に溢してしまったりしている事の方が多いようですが、サトゴロウさんが感じて言ってくれたことって、きっと、何かが「満ちてきた」ってことよりも、「道てきている」ことを言ってくれてるんでないのかと思いました。
そういうところを感じてもらえるって、本当にありがたいですね。
いつもそばにいてくれるおかげです、一人では何にも出来ません。
そんなサトゴロウさんも、すごく道っていて輝いています。
これからも共に、満ちて、そして道て、生きて行きたいと願って止みません。
今日も窓越しに見える火星が綺麗です。