タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

中略してみたこと

先日は、お墓参りをしてきたタツゴロウ(私)です。

「幸せ」だっていう気持ちを娘に報告できるのも乙なものですね。今までは、そこに「居る」って感覚だったのが、今年は「繋がる」って感覚。ですし、繋がると幸せな理由の報告など、会話も楽しめるってのも新しかったです。

おかげさまです。

 

 

さて、今日はその「幸せ」の源というか、仕組みについて、感じたことを備忘録として少し書き留めてみようと思います。

 

 

よく「ため息をつくと、幸せが逃げる」とか「幸せがやってくる」のような言い方がされたり、幸せについては色んな表現があったりしますね。それは、古来より誰しもが幸せというモノやコトを求めている証拠なんだと思うんです。

それに、幸せの定義や理論を研究した幸福論などもとても多いですし、宗教なんかも神という概念の元に考え方や行動様式を体系化したもので、ある種の幸福論です。仏説なんかは幸福論そのものだとも思います。

 

で、こうやって書き始めると長くなりすぎて、面倒くさくて、後で絶対読み返すことのがなく備忘録どころじゃなくなってしまうので、『(中略)』ってことで、、、

 

 

(中略)

 

 

ということで、

幸せは『「当たり前のこと」を「当たり前じゃない」と「当たり前のように思う」こと。』って思ったってお話なんです。

 

ひも理論みたいに、揺れているイメージです。

2ディメンションなら、当たり前と非当たり前を行き来する、波形。

3ディメンションなら、バネのような螺旋。

それが複数絡まり、遺伝子のような二重螺旋、そして螺旋がさらに螺旋を描くハイパーコイル構造になってるんでないかと。

 

この構造や揺れを味わうことが、幸せって感情の源なのかも知れないなって思ったわけです。さらには、それを俯瞰し、選択肢し、取り込み、咀嚼し、反芻する。

それは、言い換えれば「経験」のことであったりするわけで、チャレンジ体験の場である地球という星に、魂と肉体を同時に持ち合わせ、そのせめぎ合いのド真ん中を「つんつん」した時に、ぷるぷるするやつが「幸せ」なのかなと。

 

はい、今日も自分でも良く分からなくなってきましたが、「あー、もーー!ぴとってしてたーーい!!」って、遅寝早起して、高速道路で、仕込画が描かれたトラックを横目に見ながら、そんなことを考えていたタツゴロウ(私)でした。

 

 

いつも幸せをありがとう。

 だし、改めて、おめでとう。