タツゴロウ日記

「タツゴロウ」は、大好きなサトゴロウさんがつけてくれたお気に入りのニックネームです。最近は聞くこと、感じることがテーマですが、ぽちぽち発信もしてみようかと。

今度聞いてみること

66年ぶりの五輪連覇、冬季五輪史上日本初のワンツー表彰台。

実際の演技はまだ見ていないですが、一報をうけて、うわーマジかー、すげーなー、ってぶるぶる震えがきたタツゴロウ(私)です。

お二人とも本当におめでとうございます!

 

 

話は少し変わるのですが、先日サトゴロウさんが言っていた「不動」の定義が、とても面白くて、興味深い内容で、思わずポンと膝を叩きたくなるような納得感がありました。その中で「揺れていて当たり前」と「意図」の関わりの部分がすごく面白くて、自分の中で反芻をしながら認識を深めたいと思っていました。

そんな折に、先のメダルダブル受賞を聞き、ぶるっとなった瞬間に少しピンとくることがありました。

 

揺れる(震える)ってすごいことなんだ、と。

 

私達がコミュニケーションをとる為の「声」も声帯を震わせることで発していたり、身体に異変がある時にはアラートとして身体が震えます。肉体と震えは深い関係性があるように思います。

というか、「ひも理論」によれば、万物は極小の「ひも」が震えている結果であるわけです。震えていたら「有」、止まっていたら「無、真空」です。震えると震えないのは、超えることの出来ない溝が存在しているわけですね。「空」という概念で統合することは可能かも知れませんが、今はその抽象度の話は一旦おいておきます。

で、ここでポイントなのは「万物(肉体含む)は」ってところで、魂はまた別の話しってところだと思います。

 

よく分かりませんが、肉体はそもそも不動ではなく、揺れ震えているわけです。そこから余計なことを削ぎ落としていくと、揺れのない不動である魂に対して、肉体はある種の憧れがあるように思います。逆に、揺れが前提にない魂は、その揺れや震えを楽しめる肉体に憧れをいだいているのではないかと。

そのそれぞれの憧れの交わる「お楽しみポイント」には、感情や葛藤というものが存在し、それを「心」と呼ぶのかも知れません。

心は、震えているようで震えておらず、震えていないようで震えている。

 

このお楽しみポイントにおいて、自分はどんな意図を持ち、憧れを統合した心を味わうのか。

お釈迦さまは死の直前に「人生は甘美なものである」とおっしゃったとか。

あのお釈迦さまがです。

 

 

なかなか、難しいですね(笑)

今度、サトゴロウさんに聞いて教えてもらおーっと。