伏すこと
進行管理と打とうとしたら、信仰管理と変換された高スピリチュアル男子、タツゴロウ(私)です。
10月の山伏修行体験をしてきます。
山に「伏して」修行するから山伏だとか。
山伏は、山岳という異世界に伏して、そこにいらっしゃる神々や仏たちと人々を繋ぐシャーマンのような方達のように思います。そして、この「伏して」がすごく重要なのでないかと思ったりもしています。
そこに住んでとか、暮してとかでなく、、、伏して。
ただその過酷な環境に身を置くことで、超自然的エネルギーを感じとるのではなく、そこに伏すことによってこそ、のような気がします。
「伏す。」そこには敬意と尊敬があり、躊躇いや恐れなどが無い状態のように思います。その圧倒的な自然をありのまま感じること、感じざるを得ないほどの圧倒的な自然のエネルギー。伏さなければ辿り着けないであろうその領域。
どんな感覚や心持なんだろうなぁ、と今からドキドキしているわけです。
そんなことを考えにやにやしていた時に、ふと思ったのが、人間は何かに伏すことによって、アナザーワールドと行き来が出来るようになるかもなぁ、なんて思いました。
タツゴロウ(私)の肉体の過去世は海女さんだったりするわけですが、毎日 海に伏す「海伏」だったのかも知れないなと。否が応でも日々向き合う海。もうそこから逃げ出したくなるような、死んでしまいたいほどの暮らし。でも、心の奥に確実に存在する大いなる恵み、母なる海への敬意と尊敬、、、そして愛。
自身では認識出来ていなかったのかも知れないですけど、くるくる回って今ここ、、、現世のタツゴロウ(私)が思うに、海に伏していたんでないかと。
少し違いますがお仕事などでプロフェッショナルって呼ばれる方は、その仕事に伏しているんだなぁ、と思ったりもしました。
少し角度を変えてみると、外へ伏せる方って、実は自分自身、中にも伏しているんでないかなぁ、、、「我伏」なのかなぁ、、、とか仮説を立ててみたりすると、ダイエット中と言う事もあって、キリンさんばりにお口がよだれまみれになるわけです。
伏すこと、、、深いなと。
もっと認識を深めたいなと、、、てか、面白いなぁ。
何言ってのかしら、ボク(笑)
来月の断食に、山伏修行。。。
もー、タマランチ会長です。